めんどくさいを楽しむ暮らし(闘う高齢者)

シニアの生活を模索しています。めんどくさがりなので、どうすれば動けるようになるかが課題です。暮らしの工夫やちょこっと愚痴も発信したい

台所のめんどくさい(食器洗い編)

食器洗いをなんとかしたい!!

まずはシンク

三角コーナーさようなら

主婦にとって一番長い時間いる場所、といえば台所なんだけど、(そうじゃないって言う人もいるかもしれんが)その辺のめんどくさいってとても多いと思う。

 

私にとって第一の悪戦苦闘はお片付け、食器洗いだった。

狭い流し場で山のような食器や鍋を洗うとき、洗い物は結構好きだけれどやっぱりため息が出てしまう。

 

小道具が多いんだ。

まず洗剤、洗い桶、スポンジ。それに洗い物とは関係のない三角コーナーやら、スポンジを置いておく吸引付きのかごとか・・・・

狭いシンクがさらに狭くなって、20cmほどの鍋がシンクに収まらないことがある。

 

これが習慣といってしまえば簡単だけど、毎日毎度こんなストレスにさらされるのはたまったもんじゃない。

 

どうすればいいかなって考えてたとき、三角コーナーを置かないという記事が目についた。

そっかいらんもんは捨ててしまえばいいのじゃ。

 

三角コーナーは捨てました。

その代わり、排水口についている筒みたいな網かごにクズを入れて、たまる前にゴミ袋に入れて捨てることに。

これはいいや、待てよ、筒みたいなの大きすぎへん?

こまめにゴミを取り出すにはめんどくさいよ。

 

これも変えることにしました。

浅いゴミかご。

100均でパンチ穴のステンレス製。なんかリッチになった気分。

 

さて、少しばかり広くなったシンク。なんとかお鍋も置くことができた。

 

でも、、、洗い桶って邪魔じゃない?

 

今度は洗い桶さようなら

洗い桶もさようならしよう。

だけどこれ、あれば便利な時もある。ジャガイモ洗ったり、食器を水に漬けておいたり。

 

そうだ、大き目のボールで代用すればいいのだ。

ボールはシンクの上に突っ張り棒棚をこしらえて、乗せてあるからいつでも使える。

用が済めばまた棚に乗っければ済むことだ。

これもお見送り。

 

わー、だいぶすっきりしたな。

あと、スポンジとか、洗剤とか。これはどうだろう・・・・

 

スポンジはアクリルたわしに変更

ここで、洗剤をスパッと変えてしまうことが起きた。

ここで説明すると長くなるので割愛するが、合成洗剤を使わなくなったのだ。

 

一番の理由は臭いがダメになったこと。なぜかしらんが、あの合成の臭いが我慢できなくなったのだ。

 

食器を洗うのは石鹸。

粉石鹸とか、固形石鹸とか。液体も石鹸。

これを使って気が付いたことは、泡切れがすごくいい。

 

それとスポンジを使っていると、なぜかスポンジが目詰まりしてくる。

石鹸を買っているサイトで説明してたけど、目の粗いスポンジだといいそうな。

でもそれだと何か頼りない。

 

で、エコたわしを使うことにした。

100均の安いアクリル毛糸で十分。

丸でも四角でも好きなように編んで、使ってみたら結構いい感じ。

洗剤なしでも洗えると何かで謳っていたけど、最初にうちだけだな。

汚れてくると結局は洗剤でたわし自体を洗わなくちゃいけないし。

 

その洗浄剤を石鹸にすると、水切れもいいし、泡切れも抜群。

 

これはいいな。

 

今はアクリルたわしと、ちいさなたわし(滅多につかわない)と溝を洗うときに使うブラシがあるだけ。

 

泡切れがいいってことは、大切だよ。

ささーっとすすぐだけで、食器がキュッキュッと鳴るんだもん。

気持ちがいい。

 

洗う前に食器を考えた

こんどは食器自体を見直した分、書いてみることにする。

 

講師を続けてきて思うこと

生活の一部になっている講師

講師をやりだして5年ほどになるが、このごろはこれが普通という感覚になっている。

普通というのは説明しがたい言葉だが、生活の一部になっているという感覚である。

特別に準備したり、明日は受講生がなんたらかんたら・・・・というのがあまりない。

 

コロナ肺炎の影響もあったけれど普段から受講生が少ないせいかもしれないが、毎回何人もの受講生を教えるということがないせいかもしれない。

 

あまりに気張ることがないのだ。

シニアとしては、いいことかもしれない。

 

けれど、初心者を教えるということは結構気疲れするものだ。

自分でも知らず知らずのうちに力が入って、帰ってくるなりどっと疲れが出てきたりする。

手芸店での講習なので、初心者という受講が多い。それも小さい子供だったり、左利きの人だったりする。

私は通信教育で資格を取ったが、初心者に教えるということも、左利きの人に教えるということも、カリキュラムの中にはなかった。

編み物とはこういう技術だ、ということだけ学んできたので、試行錯誤の連続だ。

 

経験を積むということ

試行錯誤と経験はとても貴重なものになってきた。

これって、大いに自慢してもいいことなんだと思う。

私の場合の講師という仕事は、遊んでいるような気がしてしようがなかった。

実入りが少ないということもあるが、好きな手編みの延長上に講師があるからだ。

 

スパゲッティという糸で何か作りたいという人が来た。

スパゲッティというのは、Tシャツを細く切った糸でしばらく前に流行した。

それは重たくなりますよって言うと、『へー、そうなんですか』という返事。

 

スパゲッティと聞いて即、完成品が重くなるということがわかるのは経験しかない。

編んでみないことにはわからない。

 

経験というのは勉強したり、覚えたりするのとは違って目に見えないものだから、自分でも身についているのかどうかわからないことがある。

第一、経験には物差がない。

これくらいの経験だからって、目に見えるように説明できないものは全部の人に共通のものがないからなんだ。

 

 

そのスパゲッティで編むと作品が重くなるっていうのは経験だし、どんなものを編めばいいかってアドバイスも経験だ。

元はTシャツだったんだから、もう一回Tシャツにしようなんて人はいないと思うが・・・

 

何度か、自己流でも編んだことのある人なら失敗やら、何度本をみてもわからなかったことがあるから、少しのアドバイスややってみせることで理解してくれるけれど、全くの初めてでは、『ふーん』ぐらいの感覚しかない。

だから講習をやっている間はできるけど、家に帰って一人になったとたんにわからなくなる。

 

そんな人に根気よく手編みをやってもらうにはどうすればいいか、いつも考える。

 

 好きな手編みの延長上に講師があるから、趣味の枠を出ていない講師だと思っていた。

でもそうじゃなかった。これは立派な仕事だ。

 

私が手編みを始めたころはネットなんてなかったし、誰もやっていなかったから便利な動画もブログもなかった。

図書館で編み本を漁ったりして、手探りで勉強してきた。

その経験だけで、編み方や糸の扱い方がわからない人にちょこっとアドバイスできる。


どんな風なアドバイスがいいのかそれはまだ、手探りの状態。随分、わがままな先生だと思うけど。

 

そんなこんなで時々いい気づきがもらえる。

講師は辞めたくない。

だって、私のライフワークだから。手編みは。

 

 

センスとは何?ずっと考えてきたこと

 

センスをテーマにしていた動画を見て、気がついたこと。 

経験と努力。

これ以外にセンスを磨く道はない、ということ。

 

ニッターの仕事してよかったあ、と今更ながら思う。

あの時は、なんでそんなアホな仕事するのん?とかよく言われたけど、今になって活きている。

あのセーターを何百枚も編んだ経験があるから、今何の苦もなくアドバイスできるってこと。

 

前に手芸本見ながら自己流でセーターを編んでる人が来た。

レシピを見ながら編んでいて、デザインの違うセーターを編みたくなって、違うデザインのレシピをそのままの目数、段数で編んでいる。

 

経験と知識がないってこんなことだなって感じた。

  

編むのは好き。でも教えるとか、納得してもらうっていうのはまた別。

それはこれから磨く。

今まで教えることに失敗した人、ごめんね。

 

でも諦めないって大切だ。

教えるのが今の仕事なんだけど、編み方がわからなくて困っている人にちょこっと手助けしたいと思ったのが、この仕事を始めるきっかけだった。

だから、うまく教えることはあまり考えていなかった。

 

図書館で手芸本を漁ったり、ニッターのバイトで何枚もセーターを編んでやっとこ疑問を解決したり。

その手間をそっと教えてあげる、ぐらいの気持ちだった。

 

あの時の私のような人はめったに来ない。

習いさえすれば完成品が編めるように思っている人が、ほどんどだ。

それでもいい。

手編みに興味を持ってくれればいい。

 

今、やっとそんな気持ちがわいてきた。

 

これが教えるセンスにつながったら、私のシニアとしての手編み講師の仕事もいい仕事になる。

 

 

 

 

シニアの仕事としての手編み講師

完成された手編み講師ではなくて、まだノコノコと地を這っているような手編み講師だが、それでも目標ができたのだ。

 

これからの検索窓は、『教え方~』がつく。

 

どれくらいやれば満足してもらえるか、未知数ではあるけれど、私の『好き』を少しでも分け合えるのなら、とってもいい仕事ではないか。

 

 

 

文章を書くことについて

ブログ書くのもなんだかなーって気分になっている。

ネットをさまよっていても、読みたいブログってなかなかない。

 

いい本ていうか、文章のきれいな本はどんなものか、わかるようになってきた。

小説なんかだとあらすじばっかりに目が行くけどそうじゃなくて、矛盾のない流れのある文章がいい文章なのだ。

でも、なかなかないもんだ。

 

そんな文章はどんなぐあいなのか、説明しろっていわれるとどう説明すればいいのか分からないけど、感覚ではよくわかるんだな。

 

気持ちのいい文章なんだ。

 

つっかえたりはてな?なんて思ったりしないで済む文章。

え、え、今のなんだっけ?っていう文章にであったことがある。

読み終わっても何を言いたいのかさっぱりわからん文章もあるし。

 

そうか、この人はこれを言いたいのだなっていう文章。

読んでいてもつっかえない文章。

いい文章って、内容がどんなに重くても後味がすっきりしている。そして心にズーンと響いてくる。

 

そんな文章書きたくて、勉強してきたけど、ネットではそんなのはいらないようだ。

軽くてわかればいい、っていう感じ。

なんだかなぁ。。。

はっきり言って少しざんねん。

 

でも考えて書いてみよう。

せっかくの場所があるんだからね。

文字数気にせず。

見出しもなく。

 

フリマアプリで売るということ

最初の値段を間違えた

メルカリの店主になってみた。

最初靴下カバーを600円で売ったら、ほんとに古本やら不用品より早く売れてしまって、そこからメルカリにどっぷりハマってしまった。

 

しかし、600円では大赤字なのだ。

まずメルカリの手数料が1割引かれる。540円

送料がかかる。540円−93円=447円。

追跡のあるらくらくメルカリ便などにしたら175円。540円−175円=365円。

毛糸代が400円だから、マイナス決定!!

 

これ笑い事じゃない。手数料も送料も考えないで付けてしまった値段。

売れるの当たり前じゃん。

 

たとえ200円でも利益があればもっと嬉しかったかも。

ということで、今度はいきなり1,200円の倍の価格で売り出してみた。

結果、動きなし。

 

フリマアプリの攻略方法?

これ段々と段階的に値段を上げていけばよかったのかな。

いや、やっぱりダメだろうな。

それとも・・・・といろいろ考えてみる。

 

どうすりゃいいんだ?

いや、どうもしないよ。作品作ってアップするだけだよ。

 

そうなんだ、品数を増やして、欲しそうな色やら雰囲気をたくさんにしてみたらいいのだ。

 

実際のお店にも一つしか品物がなかったらどうする?

買おうとする前に考えてしまうでしょう。

 

ちょっと余談だが、メルカリの中におばあちゃんが作っている雑貨というのがままある。

それぞれにファンがいて、ひなびたいい感じの雑貨がある。

やっぱり靴下カバーが多いのだ。それに安いところは安いのだ。

私が赤字じゃん!となった600円以下の作品なんかがたくさんある。

利益でてるのかなぁ。他人事ながら心配。

 

でもたまに1,200円の靴下カバーが売れていたりする。

おばあちゃんが、息子さんや娘さんんに手伝ってもらって出店しているのもある。

いいなぁって思う。

これって攻略法の一つかもしれない。

ライバルなのに応援したくなる不思議な感覚。

 

 

攻略というよりも、フリマの楽しみ方

フリマアプリの楽しみ方もいろいろで、不用品がお金に変わるというのもあるが、コメント欄にちょっとしたメッセージを加えることもできる。

それが楽しいこともある。

 

利益度外視して、コメントを楽しんでいる人も多分いるだろう。

私は、古本を売る時は手編みの栞をつけている。

それに反応なしというのがほどんどなのだが、たまに「かわいいですね」とか「使わせていただきます」なんてコメントがあれば、とっても嬉しくなってしまうのだ。

単純なもんだ。

 

だから、無愛想な人に当たるとちょっと悔しい。こんどこそコメントいっぱいくれる人に当たれ!!!なんて思っている。

 

フリマで売れるちょっとしたもの

メルカリは個人ばかりがやっている訳でもない。

業者というか、半分商売のようにしている人もいる。いわゆるせどりとかいうやつ。

これは悪いことではないと思う。

 

私がよくメルカリで買ったりするのは古本もあるが、手芸のパーツもある。

たとえばコットンテープ。

実店舗ではあまりお目にかかれないようなかわいい柄もあったりして、ほんのちょっと50センチほどほしいだけ、という時がある。

通販も便利だけどほんの50センチなんて、下手をすると送料の方が高くついてしまう。

 

メルカリだとほとんどのところが送料込で、だいたいの値段の計算も簡単でいい。

店主さんの方は、ドラムに巻いているようなテープから50センチを切って送ってくれる。業者さんより丁寧だ。

きちんと模様の切れるところでハサミを入れてくれているので、嬉しかった。

 

私もニットピンが欲しくて通販で購入したが、いくらなんでも1,000個のニットピンは使い切れない。

どうしようかな、とメルカリをさまよっている時に、個別売りをしているお店を見つけた。

こんな方法もあるんだなと思って、30個単位で売り出してみたら、完売した。

ほんの少しほしい時にはそんなお店を探してみるか、たくさん買って自分が欲しい分を取り分け、あとはバラにして売ってもいい訳だ。

 

なるほど、こういう使い方もあるのかメルカリ。

フリマアプリってバカにできない。楽しいじゃん。

 

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コードホルダー 結構可愛くできて嬉しい



 

 

楽しみ以外のフリマ

ということでハマっているわけだが、なかなか売れて欲しい物が売れない。

写真を撮り直したり、説明文を書き直したりしてあーでもない、こーでもないとやっている。

もしかしたらこれも楽しみの一つなのかもしれないな。

歯周病とかで歯を一本抜かれたこと・・・・・・(泣

抜かれてしまった歯

先日、歯石をとってもらいに歯医者に行ったら、「これやばいです。抜いて差し歯にしないと」と言われて治療してもらった。

 

歯周病なんて私には関係ないと思っていたけど、調べてみたら歯と歯茎の間から忍び込んで誰でもがかかる病気なんだな。感染症とは違うようだけど、しっかり歯磨きしていても潜んでくるようだ。

そして、潜まれてしまったようだ・・・・

ガックリ

 

放っておいてもいいことはないので、こんなのはしっかり治療するのがいい。

いつも歯のお掃除に行っている歯医者さん、お任せすることにした。

 

悪い歯医者の見分け方

言いたくはないけど、歯医者の悪口ならいくらでも言える。

今行ってる歯医者さんはやっと、やっと巡り合ったいい歯医者さん。歯医者さんの口コミサイトでも結構いい点とってる。

で、私流のいい歯医者、悪い歯医者の見分け方を書いてみることにした。

まず悪い歯医者の例

それはないでしょ、と思った歯医者の一例。

患者の口を見たとたん、「きたないっ!!」と一言。そして歯が痛くて予約してやっと治療日になったのに、「今日は治療しません。まずお掃除してから」と歯石取りを始める。

そしてなぜか歯石をとるのは2回かかる。

3回目の予約でやっと治療が始まる。

なんじゃこら。

ここはこれで行くのはやめた。歯石を取りに来いというので、行ったら、2回はいかないとダメみたいだし、行ったら行ったで1週間は歯が痛い。

で、やめた。

直感は大事

一番奥の歯が傾いて生えてきていたのはわかっていたが、別に悪さをしているわけでもないので放っておいた。

歯医者に行くたび、「抜きましょう」と言われて、言われるたび、ほかの歯の治療が終わるたび、逃げ出していた。

だって、奥のそのまた奥の歯を抜くって、怖いんだぞ。

あごはだるくなるし。

その前に行ってた歯医者で親知らず抜いたけど、金輪際、歯は抜かないぞと思った。

この歯医者も はてな??? がつく歯医者だったけど、今回は書かない。

その「抜きましょう」の歯医者だが、レントゲンの黒い影をみて、「これ、なんだろな?」「ま、いいか」とのたまったので、ここも虫歯の治療が終わると逃げた。

逃げて正解だった。

今の歯医者さんで、レントゲンを撮って見てもらったら、傾いた歯の隣の歯の根っこがなくなっていたのだ。

根っこがなくなっていても少しも痛くなかった。虫歯じゃないもんね。

そこが黒くなっていて、くだんの歯医者は画像判断ができなかったのだ。

傾いた歯を抜けば終わり、と思っていたふしがある。後でわかったことだったけど、あの時の「ぞわっ」とした直感は、本物だった。

逆切れする歯医者

一番見事な歯医者は、逆切れされたこと。

逆切れって、、、あんた。

曲がりなりにも医者だろ。

ちゃんと説明しろよ。

虫歯の治療して、患者が噛み合わせわるいって 言ってきてるのに、「原因がわからない!」なんて格好つけて吠えてた。

原因はあんたの治療じゃないか。

ちゃんと治せよ。

 

いやね、ここの言葉は悪いけど、私は普通にしゃべってましたよ。

心の中の言葉を書いてみました。おっさん、かなりいやがってたけど、ついに歯を削って、噛み合わせはなんとかなりました。

 

なんだ、やっぱり原因わかったじゃんか。

2度と来ないから安心しろ。

結局見分け方より直感

見分け方なんかない。

こっちは素人だもん。なんじゃかんじゃ言われても「へぇ~、そうなんですか」って感心してるよりほかはない。

一度、歯石を取ってもらった後で、虫歯ある、と言われて「今日はいいです。また来ます」と逃げた時もあった。

かの「きたない」歯医者だ。

あの時いわれた虫歯はまだ治療もせず、健在である。なんでやろ。

歯医者だけに限らず、なんか変だなと思ったら、逃げること。

あとでそうか行っとけばよかった、と思えばまた行ける。手遅れになることなんかない。なったとしても、そんな重症になることはめったにない。歯周病は別だけどね。

直感を大切にしないと。

直感を大事にしないと。

直感の磨き方ってあるかな。

こんど考えてみよう。

 そのほかの歯医者のことは思い出したら書く

 歯医者の悪口ってなんで多いんだろう。

考えてみると「わしは絶対!」と思ってるやつら。

間違っても、ごまかせると思ってるふしがある。

医者と患者も相性があって、そんな医者でも合う患者はいる。だから生業としてやっていけるのね。

「きたない!」のおっちゃんも、「ま、いいか」のおっさんも逆切れのあんちゃんも、「おれは絶対!」って自信あるんだな。

「素人は黙っとれ!」って感覚。

トラブルあったらごまかす。「あんたの歯が悪い」って感じで。

逆切れでよくわかった。治療室の隅っこで看護師さんが震えて固まってたぞ。

おばさんは面白かったけど。

今の歯医者さんのいいところ

歯医者の悪口ばっかり書いていてもうんざりするだけだから、いいところを書いてみる。

今の歯医者さんが気にいっているところは、説明が細かい。

しっかり説明してくれる。

そして具合が悪いと、「やり直しましょう」といってやり直してくれたことがある。2週間前に治療したばかりの歯をね。

びっくりした。

ちょっと感動だった。

そんな歯医者見たことなかったもん。

もちろん、治療費はきっちり取られた・・・・。

 

理屈やらエビデンスやらではなくて、感覚で「ここだな」と思って1か月か2か月に1度歯石を取りに通っている。

歯石を取っても痛くない。「きたないっ!」のおっさんとこは1週間は歯がずきずきしてたけどね。

なにが違うんだろう。

施術しているときもちょっと体を動かすと「あ、痛いですか、すみません」といって休止してくれる。

小児歯科を標ぼうしているせいかな。それだけじゃないだろう。

 

それと受付のおねえさんの感じがいいんだよ。

あの「きたない」のおっさんとこは受付もBBAって呼びたいくらいだったよ。

院長の人柄ってこんなところにもでるもんだなって、勉強になった。

 

とにかく、いい歯医者さん見つかってよかった。

みなさんもいい歯医者さん、見つけてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編み図読めますか

編み図、分かりますか?

私は通信教育で手編み講師の免状を取るまで、ほぼ、自己流だった。

洋裁の製図は母が洋裁をしていたり、通っていた学校が中学生のころから文化式の原型を教えるような学校だったので、割としっかりと教え込まれた。

で、編み図だが、これは通信教育を受けるまで正規に学んだわけではない。

学校で授業の一場面として習ったくらいだ。

 

だから、というか、手芸店に来られる受講生さんもたぶん学校でやったことあるわ、という人が多いと思う。

自己流であっても、最初はそんな風に簡単な編み図をみんなと同じに習ったから。

授業時間の都合でカットされているかもしれないけど、マフラーの一本くらいきっと編んでいると思う。

 

通信教育でしっかりと基礎をやるまで同じ場面に立っていたのだから同じ、だと思う。

ただ、どんな編み本でも終わりの方には、編み図記号の編み方が載っている。

見たことのないような編み図は、編みたい作品にはなくても、やってみる。

ちょこっと残り糸を引っぱり出してきて、模様編みの目数×2くらいの目を作って、やってみるのだ。

 

そういう風にして、編み図を覚えてきた。

 

編み図の便利なところとは? 

なんて便利なんだろう、と改めて思ったのはネットを始めて英語のレシピに出合った時だった。

英語のレシピにも一応記号はあり、日本の編み図の記号と同じである。

しかし、ひと模様の編み方のみ記号で書かれていてあとは、編んでいく手順が文章で書かれている。

そばに人がいて、こうやって次はこう編んでいくのよ、と教えてもらっているような感じ。

初めての人ならいいかもしれない。

裏と表をひっくり返して次の段を編むときも、レシピに書いてある通りに編んでいけばいい。

 

しかし、ある程度編む力がある人なら、全体像が分かりにくい。

編み図なら、パッと編みあがりのイメージが編み図から分かってくる。

それがとても便利なのだ。

大きさを変えるにしても、違う糸で編むにしても、全体のイメージがつかめるというのはとても大切なことだから。

 

編み図を読めない人の ”壁”

編み図を説明していても、なかなか理解してくれない人がいる。

それもかなりの数。

 

この長編みの次はこれ、と説明しても、続いて編む編み目がどこにあるのか、が分からないようなのだ。

記号は独立しているが、編んでいく順番には書いてある。

その順番が初心者にはとらえられないようなのだ。

 

棒針で編む記号もしかり。

表から見ながら編むときと裏から見ながら編むときは、記号をひっくり返して考えなければいけない。

編み図はあくまで表からみた状態で書かれている。それが全体像を把握するのにとても便利な所以である。

 そして初心者には大きな壁である。

 

それをひょっと乗り越えられる人、なかなか乗り越えられない人。いろいろなのだ。

 

編み物に限らず、手を使う作業は根気のいるものだ。

諦めずにひとつ、ひとつ、やっていくしかない。

 

苦労かもしれないけど、ひとつ大作を仕上げたらとても嬉しい。

その成果が分かるから、編み物は面白い。

 

諦めないで、一日ひと目でもいい。

編んで欲しい。

 

編み図があなたのものになるまで。

 

 

大物を編むときの目印

なぜ目印をつけないの?
始めの頃は生意気だったのか、あまり目数だの段数だのは気にしないで編んでいた。
レシピは参考にするけれど、目数なんて、模様を数えればわかるし、段数もしかり。
とにかく面倒くさかったんだと思う。それがベテランらしくて自分なりにかっこよかった。
しかし、失敗は多い。

ネットをやり出した頃に、編み物の先生をしている方のブログを読む機会があった。
婦人用の帽子の編み方を丁寧に写真でアップされていた。
こまごまと段数リングが付けられていて、、、、ちょっとショックだった。

目印を付けないのがベテランだと思っていた私の、みょうちきりんなショック。

おかしいじゃない。
洋裁するときだって糸印はたくさん付けるでしょう。付けるほど安心で、細かくきれいな作品ができる。だから目印が少ないのがベテランだなんて。おかしい。
母は洋裁を生業にしていたが、大雑把な性格で糸印もちょこん、ちょこんと要所だけにしかつけなかった。

たぶん、大雑把な母の性格を引き継いでいたんだと思う。

目印を付ければ便利なのだ
それからは段数リングや目数リングを糸に替えて、こまめに付けるようになった。
空で覚えた模様であっても、模様の区切りに小さい糸印を入れるようにもなった。
やってみれば、付ける時は面倒でもそのあとは目数や段数をいちいち数えなくても、糸印を数えて大雑把に段数を割り出すこともできる。
大物を編むときは便利だ。

手芸店で講師をするようになって、ここではあまり大物は教えたりしないが、靴下カバーや手袋、バッグなど、小物を教えたりする。

ちょっと編み方を知っているという人ほど、印をつけない。
あの頃の私だ、と思う。
目印すると便利だと教えても面倒なのか、慣れないと編みにくいのか、すぐに外してしまう人もいる。

そうなんだなぁ。
失敗してみて、初めて分かる事は多い。ここで絶対に印つけると教え込まなくても、いつかこれは便利だ、と気づいて下さるかもしれない。

ベテランほど、印つけるんですよ。
こんど、そう教えてみようかしら。