めんどくさいを楽しむ暮らし(闘う高齢者)

シニアの生活を模索しています。めんどくさがりなので、どうすれば動けるようになるかが課題です。暮らしの工夫やちょこっと愚痴も発信したい

講師を続けてきて思うこと

生活の一部になっている講師

講師をやりだして5年ほどになるが、このごろはこれが普通という感覚になっている。

普通というのは説明しがたい言葉だが、生活の一部になっているという感覚である。

特別に準備したり、明日は受講生がなんたらかんたら・・・・というのがあまりない。

 

コロナ肺炎の影響もあったけれど普段から受講生が少ないせいかもしれないが、毎回何人もの受講生を教えるということがないせいかもしれない。

 

あまりに気張ることがないのだ。

シニアとしては、いいことかもしれない。

 

けれど、初心者を教えるということは結構気疲れするものだ。

自分でも知らず知らずのうちに力が入って、帰ってくるなりどっと疲れが出てきたりする。

手芸店での講習なので、初心者という受講が多い。それも小さい子供だったり、左利きの人だったりする。

私は通信教育で資格を取ったが、初心者に教えるということも、左利きの人に教えるということも、カリキュラムの中にはなかった。

編み物とはこういう技術だ、ということだけ学んできたので、試行錯誤の連続だ。

 

経験を積むということ

試行錯誤と経験はとても貴重なものになってきた。

これって、大いに自慢してもいいことなんだと思う。

私の場合の講師という仕事は、遊んでいるような気がしてしようがなかった。

実入りが少ないということもあるが、好きな手編みの延長上に講師があるからだ。

 

スパゲッティという糸で何か作りたいという人が来た。

スパゲッティというのは、Tシャツを細く切った糸でしばらく前に流行した。

それは重たくなりますよって言うと、『へー、そうなんですか』という返事。

 

スパゲッティと聞いて即、完成品が重くなるということがわかるのは経験しかない。

編んでみないことにはわからない。

 

経験というのは勉強したり、覚えたりするのとは違って目に見えないものだから、自分でも身についているのかどうかわからないことがある。

第一、経験には物差がない。

これくらいの経験だからって、目に見えるように説明できないものは全部の人に共通のものがないからなんだ。

 

 

そのスパゲッティで編むと作品が重くなるっていうのは経験だし、どんなものを編めばいいかってアドバイスも経験だ。

元はTシャツだったんだから、もう一回Tシャツにしようなんて人はいないと思うが・・・

 

何度か、自己流でも編んだことのある人なら失敗やら、何度本をみてもわからなかったことがあるから、少しのアドバイスややってみせることで理解してくれるけれど、全くの初めてでは、『ふーん』ぐらいの感覚しかない。

だから講習をやっている間はできるけど、家に帰って一人になったとたんにわからなくなる。

 

そんな人に根気よく手編みをやってもらうにはどうすればいいか、いつも考える。

 

 好きな手編みの延長上に講師があるから、趣味の枠を出ていない講師だと思っていた。

でもそうじゃなかった。これは立派な仕事だ。

 

私が手編みを始めたころはネットなんてなかったし、誰もやっていなかったから便利な動画もブログもなかった。

図書館で編み本を漁ったりして、手探りで勉強してきた。

その経験だけで、編み方や糸の扱い方がわからない人にちょこっとアドバイスできる。


どんな風なアドバイスがいいのかそれはまだ、手探りの状態。随分、わがままな先生だと思うけど。

 

そんなこんなで時々いい気づきがもらえる。

講師は辞めたくない。

だって、私のライフワークだから。手編みは。

 

 

センスとは何?ずっと考えてきたこと

 

センスをテーマにしていた動画を見て、気がついたこと。 

経験と努力。

これ以外にセンスを磨く道はない、ということ。

 

ニッターの仕事してよかったあ、と今更ながら思う。

あの時は、なんでそんなアホな仕事するのん?とかよく言われたけど、今になって活きている。

あのセーターを何百枚も編んだ経験があるから、今何の苦もなくアドバイスできるってこと。

 

前に手芸本見ながら自己流でセーターを編んでる人が来た。

レシピを見ながら編んでいて、デザインの違うセーターを編みたくなって、違うデザインのレシピをそのままの目数、段数で編んでいる。

 

経験と知識がないってこんなことだなって感じた。

  

編むのは好き。でも教えるとか、納得してもらうっていうのはまた別。

それはこれから磨く。

今まで教えることに失敗した人、ごめんね。

 

でも諦めないって大切だ。

教えるのが今の仕事なんだけど、編み方がわからなくて困っている人にちょこっと手助けしたいと思ったのが、この仕事を始めるきっかけだった。

だから、うまく教えることはあまり考えていなかった。

 

図書館で手芸本を漁ったり、ニッターのバイトで何枚もセーターを編んでやっとこ疑問を解決したり。

その手間をそっと教えてあげる、ぐらいの気持ちだった。

 

あの時の私のような人はめったに来ない。

習いさえすれば完成品が編めるように思っている人が、ほどんどだ。

それでもいい。

手編みに興味を持ってくれればいい。

 

今、やっとそんな気持ちがわいてきた。

 

これが教えるセンスにつながったら、私のシニアとしての手編み講師の仕事もいい仕事になる。

 

 

 

 

シニアの仕事としての手編み講師

完成された手編み講師ではなくて、まだノコノコと地を這っているような手編み講師だが、それでも目標ができたのだ。

 

これからの検索窓は、『教え方~』がつく。

 

どれくらいやれば満足してもらえるか、未知数ではあるけれど、私の『好き』を少しでも分け合えるのなら、とってもいい仕事ではないか。